2012年5月15日 火曜日 雨/曇り
2012年4月29~30日に熊野古道の熊野那智大社~尾鷲神社までの100.42kmを走りました。
その体験談を記しました。
私の診療所の土曜日の午後の診療時間は18時00分までですが、4月28日(土曜日)は20分早めに終えました。和歌山県の紀伊田辺に行くには新下関駅17時54分に乗らないと間に合わないからです。当院から新下関駅の新幹線のホームまでは、走ったら10分もあれば行くことができます。幸い17時以降は患者さんが少なく、問題なく早く診療を終えることができました。
新大阪駅で特急くろしお29号に乗り換えて、紀伊田辺駅に着いたのは23時24分でした。これが最終便なので、これ以上南に移動できません。ホテルに着いてベッドに入りますが、なかなか寝付けません。うとうとしだしたのは午前1時過ぎだったのではないでしょうか?
翌朝5時30分頃に起きて支度をして、紀伊田辺駅に行きました。ここで枝廣君と合流して6時24分の始発で那智駅に向かいました。那智駅までは2時間21分もかかります。睡眠不足なので移動中に寝ようとしましたが、ゆっくり寝られませんでした。
那智駅に着くと、真木君と森田君が出迎えてくれました。森田君は昨日、熊野古道を少し走ったようです。今日の午後は会議があるので一緒に走れないということで、記念写真を撮って別れました。

真木君の車に乗って、昨年のゴール地点の熊野那智大社の駐車場(大門坂の入り口)まで行きました。いよいよ今年の熊野古道のスタートです。まず那智の瀧に向かいます。那智の瀧をご神体とする飛瀧神社では道中の無事を祈りました。



枝廣君は熊野那智大社に初めて来たということなので、ゆっくり見物した後に車でポイントまで移動するように促して、真木君と2人で大門坂を下り、那智駅を目指しました。大門坂の石畳では多くの人とすれ違いましたが、その後はまばらでした。


大門坂以後は那智駅までは舗装された道を行くのかと思っていましたが、途中で山道になりました。尼将軍供養像の掃除をしていた地元の方に道を尋ねると、昨年の台風12号の影響で川にかかっていた橋が流れたところがあるが、川の水が少なければ石の上を渡れると教えていただきました。確かにその場所に行くと橋はなく、川底に石が飛び飛びに置かれていました。まず真木君を先に行かせて、大丈夫なのを確認させた後に私もついて行きました。アドベンチャーです。これからも何が起こるかワクワクします。

那智駅で真木君は枝廣君と代わります。しばらく舗装された道を進みます。すると大狗子トンネルが見えてきました。トンネルの全長は170mですので、この中を走れば1分もかからずに通り抜けられますが、昔の人はこうしたトンネルがあったわけではありません。峠を越えなければならないのです。トンネルの脇にある山道に入ります。荒れた道の様子から、ほとんど人が通っていないことがわかります。



峠を越えるには時間がかかります。トンネルの有難みを痛感します。枝廣君は小狗子峠も一緒に越えて、佐野王子路で真木君と代わります。
高野峠ではマムシ注意の看板が至るところにありました。私はヘビが大嫌いなので真木君の後ろをついて行きました。

高野峠の途中から王子ヶ浜が見えます。きれいな浜だなぁと思っていましたが、高野峠を降りたあと、何とこの砂浜を歩くというのです。私はてっきり砂浜に沿って植えてある松のあたり土の上を走ると思っていました。
大門坂から那智駅までは下りですが、那智駅の頃から両足の親指のあたりに違和感を覚えていました。この砂浜では足が沈むので、前に進むためには足の指で砂をかきながら進まないといけないのですが、小さな砂利で歩きにくいのです。真木君には「ここが本当に熊野古道のコースなのか?」「昔の人はここを歩いたの?雨が降ったら、満潮だったらどうなるの?」と尋ねたくらいです。真木君は「そういうときはここを通らなかったと思います。天気の回復を待ってここを通ったのではないでしょうか」たしかにごもっともな回答です。



1.8kmは長いです。だんだんと両足が痛くなってきました。13時頃で直射日光が頭から注ぎますが、砂浜ではほとんど日陰がありません。「足が痛い、暑い、きつい、まだ続くの…」とぶつぶつ言いながら、この砂浜を歩きました。
やっとのことで王子ヶ浜を過ぎて、浜王子に着きました。ここで真木君は枝廣君と代わります。靴と靴下を脱いで両足を見ると、親指にマメができかかっていました。このシューズはこのところ練習でも長時間履いているので、マメができるなど想像もしていませんでした。マメができかかっている箇所にスキンガード(テープ)を貼って対処しました。これから熊野速玉大社を目指します。
熊野速玉大社の前に神倉神社に行きました。この神社は千穂ヶ峯にあるゴトビキ岩を祀っています。ゴトビキ岩に至る階段は急で、上りはまだいいのですが、下りは慎重に降りないと滑ったりこけたりしそうでした。コトビキ岩は神秘的ですごかったです。苦労して階段を上っただけのことはあると感じました。ここから見渡す新宮市の街並みの景色もよかったです。






神倉神社を後にして熊野速玉大社を目指します。熊野速玉大社は神倉神社を元宮とし、現在地に新しく宮を遷したことから新宮とも呼ばれ、新宮市の語源にもなっています。
熊野速玉大社の手前で「めはりずし」を買いました。薄くした高菜でおにぎりをくるんだものですが、できたての「めはりずし」はあたたかくて、そして塩気が効いておいしかったです。汗をいっぱいかいている私達にはいい塩分補給になりました。

熊野速玉大社でも道中の無事を祈りました。


昨年はこの熊野速玉大社をゴールに予定していたのですが、無理な計画だったと思いました。ここで枝廣君は真木君と代わります。
和歌山県から三重県に入ります。熊野古道は中辺路から伊勢路に変わります。

伊勢路は伊勢神宮まで向かうのですが、今回は途中の尾鷲をゴールとします。フラットなコースを進むのですが、両足が痛くてペースが上がりません。
ウミガメ公園では道の駅があるので、そこでがっつりと夕食をとる予定でしたが、レストランが閉まっていたので、販売店やコンビニで購入した巻き寿司、おにぎり、かまぼこ、パン、牛乳で空腹を満たしました。
スキンガード(テープ)を貼っても両足の痛みは増していたので、スキンガード(テープ)の上からさらに重ねて貼りました。両足の親指の内側が痛い、こんなことは初めてです。履きなれたシューズなので、靴ずれとも考えにくいです。しばらく考えていると気づきました。私は5本指の厚手の靴下を履いているのですが、今回は新品のものを用意しました。これが指にピッタリしてこすれていたのだと思います。最初がフラットな道や上り道であればよかったのですが、下り道では体重が足にかかります。それにあの砂浜…。使い込んで足に馴染んだ靴下であればこんなことにはならなかったと思います。10分ぐらい足を伸ばして横になった後、再び走ることにしました。すっかり暗くなってきました。ここで交代した枝廣君とヘッドライトを照らして進みます。
龍神燈の近くでは道が陥没しており、通行止めになっていました。これも昨年の台風12号の影響だと思います。夜間は道がよくわかりません。

枝廣君は前に進んで道を探してくれます。花の窟(いわや)神社で真木君と代わります。この神社は日本書紀に書かれている日本最古の神社で、日本神話のルーツだそうです。高さ70mの巨岩がご神体で、伊奘冉(いざなみの)尊(みこと)の墓所とされています。真っ暗の中で見上げた巨岩はとても神秘的でした。

花の窟神社を出てからは、松本峠、大吹峠とアップダウンが続きます。松本峠は真木君と一緒でしたが、石畳の勾配がきつくて大変でした。

大吹峠は枝廣君と越えました。

この後は真木君と一緒に徐福の宮を探して、波田須神社に行きました。徐福は秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めてここに漂着したということです。そんな大昔に中国からここまで長い期間をかけて来られたことに感嘆します。
これから逢神坂峠、二木島峠、甫母峠と峠越えが続きます。私の足が持つのかという不安がよぎりますが、がんばるしかありません。もうこの辺になると、誰とどの峠を一緒に越えたのか覚えていません。それだけ必死だったのだと思います。痛みをこらえて、とにかく前に進みます。石畳は苔が生えて滑ります。上りはいいのですが、下りは滑ります。下りでは体重が足先にかかるので足が痛いです。これらの峠を越えるのにどのくらいの時間がかかったのでしょうか?真っ暗になった山道も次第に明るくなりました。





やっとのことで飛鳥神社に着きました。これから羽後峠、三木峠を越えて、今回のメインイベントの八鬼山越えです。枝廣君と一緒です。



八鬼山越えは、かつては狼や山賊が数多く出没したと伝わり、西国一の難所といわれたそうです。現在も古き石畳が見事に残っていますが、道沿いには行き倒れた巡礼者の碑が立っており、当時は命がけの山越えであったことがわかります。

最大の難所の七曲がりは九十九折の急坂です。帰りのJRの時刻を考えると、早くこの峠越えをしないと間に合いそうもないので、アドレナリンを出しっぱなしでこの峠越えをしました。足への負担の少ない上りは全力をふり絞って上がりました。下りは急ぎながらも慎重に降りていきます。苔むした石畳は滑りまくります。何度足をとられたかわかりません。

両足の痛みをこらえて、やっとのことで八鬼山峠を越えました。帰りのJRの時間を調べると、急げば接続のいい電車に間に合いそうです。ラストスパートして今回のゴール地点の尾鷲神社に向かいます。すると枝廣君が突然、道を確認しますと言って地元の人に聞きに行き、何と先ほどのT字路で左に曲がらなければならないところを右に曲がっていたことが判明したのです。ここまですでに1.4km近く進んでいます。これから引き返すとなると電車には間に合いそうにありません。無理だと思うと、急に疲労感が出てきます。足の痛みも増したように感じます。もう走るのは諦めて歩き始めると、雨がスコールのように降り出しました。みるみるうちにアスファルトの上に水が溜まります。車が水しぶきをあげて横を通りすぎます。走っていたときは汗びっしょりでしたが、この雨の中歩いていると体が冷えていきます。風が吹くととても寒いです。まさに、泣きっ面に蜂といった状況です。「寒い、寒い…」と言いながら歩を進めました。

やっと真木君が待つ尾鷲神社に着きました。尾鷲神社で手を合わせた後に、境内で着替えて尾鷲駅に向かいました。iPhoneのアプリ(Runmeter)を見ると、100.42kmで、所要時間は30時間53分34秒でした。そういえば他にも枝廣君が道を間違えた箇所がありました。おそらく、トータル3~4kmになると思います。この距離のおかげでめでたく100kmオーバーとなりました(笑)。約31時間寝ずに足を動かしたことになりますが、今回はそれほど眠たくありませんでした。おそらく足の痛みが眠気に勝ったのだと思います。


打ち上げをしたかったのですが、この電車が最終便だったので、ゆっくりすることもできず、いそいそと乗車して帰路につきました。名古屋から小倉に向かう新幹線の中で、枝廣君とビールで乾杯しました。枝廣君の初参加での完踏を祝しました。
今回、私がスタートして10数kmのところで両足の調子が悪くなり、スローペースだったので、2人とも余裕をもって走れたようです(ちょっと物足りなかったみたいです)。
次回は尾鷲神社から伊勢神宮まで約100kmを走る予定にしていますが、練習だけでなく、靴下ずれなどが起こらないように、もっといろいろと準備にも気をつけたいと思います。
このところ老眼が進んできました。遠方に合わせたコンタクトレンズでは近くがよく見えません。疲労が溜まると、それも夜間になると、ほとんど地図が読めません。したがって、道案内は真木君、枝廣君に任せました。2人がいなかったらもっと道に迷ったと思います。無事にゴールできたのは2人のおかげです。感謝しています。
それにしても、真木君が昨年に比べてたくましくなったのに驚きました。昨年、初参加だった真木君は少し頼りない印象でしたが、たった一度の経験が人を変えるのだなぁと思いました。枝廣君は自分を変えたいという気持ちでこの熊野古道の参加を決意したようです。今回の経験で枝廣君が今後どう変わるかが楽しみです。